私の「平成から令和へ」の改元に際して

  • 2019.5.22
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生涯に一度か二度の体験である元号の変更に際して、ある冊子から抜粋をさせてもらい、
以下に記しますので、みなさんもよい機会と捉えて、
「元号と文化」について少し思いを巡らしてもらえるとうれしいです。
今回は「オール パクリ」です。お許しくださいね~~~

国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏
「元号は制度と思われるかもしれませんが、
むしろ人々の生き方を示す文化、志というべき物です。
そういう文化を残す国が世界に一つくらいあってもいいでしょう。
誤解を恐れずに言えば、西暦は時間の経過を示した数字に過ぎない。
これに比べると元号はおしゃれですよね。
手紙を書くときに西暦より元号が美しいでしょう」と述べられていました。

書道家の水島二圭氏
全くその通りだと思います。
年賀状を例にとってみても、日付が算用数字で書かれていると
事務的、無機的な感じがしますが、
元号で書かれた年賀状には、文字の流れの美しさに加えて、
新年を心新たに迎えようとする書き手の意志が感じられ、
また、書き手と受け手が時代を共有しているという連帯感も生まれるような気がします。
そこに日本文化の特質が凝縮されているような気がしてなりません。

広辞苑によれば、文化とは「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果」であり
「特に人間の精神的生活にかかわるもの」と書かれていますが、
元号は正に日本人の精神生活の根幹にかかわる大切な文化だと言っても
過言ではないと思います。

これから数十年にわたって、私たち日本人は「令和」という時代を
共有して生きていくわけですが、
それは同時に「令和文化を共有する」ということでもあると思います。
そして、「文化を共有する」ということは、
「美意識を共有すること」と言い換えてもよいのではないかと私は考えています。
四季の移ろいの中で見せる自然の様々な表情、長い歴史の中で
営々と培われ受け継がれてきた数々の文物、
それらの中に潜む美を発見し、その美を共有することこそが文化なのではないかと思うのです。

安倍首相は新元号の発表に際しての談話
「この『令和』には、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという
意味が込められています。」と述べられました。

昭和25年の戦後間もない、まだ日本国内に物がなくバナナが貴重な時代に生まれた私。
20歳のころは、高度成長期で日本全体が裕福への道を歩いている時で、
バイトもしないでスキーをやりまくり、親のすねかじりでした。
日本全国がバブルで浮かれまくっている、38歳の時に、昭和から平成に変わり、
その後失われた10年、そして20年を経験して、なんとかやって来ました。
そして、68歳で平成から令和への改元を体験できました。
昭和→平成→令和→その次は!?

まだまだがんばるぞ~~~!!!

 

近藤 峰生

レターフォーユー