私の地獄の3連休

  • 2019.10.23
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お袋さんが亡くなり1年が経って、
まだ、私の家族全員が揃ってお墓参りしていないことを、強く反省して、
アメリカ(カリフォルニア)に住んでいる長女と
東京に住んでいる次女家族と三女家族に呼びかけて、
全員集合(11人)してお袋さんを偲ぶことにしました。

行先は長島温泉で、大人は温泉でゆっくりして、子ども(孫たち)はレジャーランドで、
遊ばせるつもりでしたが。。。。。


これが地獄への招待状になるとは!

 

9月14日

長女がアメリカから帰国、東京駅で合流して、総勢9人が新幹線で名古屋に来ました。
レンタカーを借りて、千種駅へ2台で迎えに行き、嫁さんの車には長女と父親2人の大人4人、
私の車には母親2人と子どもが4人と決まりました。


これが地獄の始まり!

 

大人4人の車は直ぐに出発、
こちらは、孫たちが「私はここ、・・ちゃんの隣、ママの隣、ここはイヤ」と席の取り合いで、
出発するまでに10分以上かかりました。
車の中で、孫たち4人のちびっこギャングは「パプリカ」を何度も何度も大熱唱!
おかげで、私も覚えてしまいました。

 

*中略(いろいろありましたが、書ききれない PART1)

 

夕食は、大騒ぎになることが想定されたので、我々だけの貸し切りの広間にしました。
その部屋には舞台があり、なんとカラオケの装置がド~~~ンと置いてある。


これが地獄の第2幕の始まり!

 

孫たちは、食事の用意をしてあるのをまったく無視して、舞台の上に駆け上がり、
マイクの取り合い!マイクを持ったら「ギャーギャー」と叫ぶ。
何度も座るように言うが、野に解き放たれた野獣たちは聞く耳を持たず。
ギャングの親たちは慣れているようで、「叱らず、怒らず」で泰然自若としています。

じいちゃん、ばあちゃん、おばさんは耐えられませんでしたが、
暫くしてあきらめて、食事を始めました。

 

*中略(いろいろありましたが、書ききれない PART2)

 

9月15日

朝食も食べないで、私はひとり単独行動、6時にホテルを出て会社に行き、
用事を済ませて10時半に会社を出て、ホテル花水木に向かいました。


これが地獄の第3幕

 

伊勢湾岸道をひた走り、木曽川の橋の手前側で渋滞がひどくなり、
全然進まなくなって、そこから湾岸ナガシマを出るのに、なんと2時間!

やっと、料金所を出て、ホテルに辿り着いて、
ホテルの喫茶コーナーでサンドイッチを頼んだら、
腹ペコなのに、またまたなかなか出て来ない(涙)

 

*中略(いろいろありましたが、書ききれない PART3)

 

夕食タイム、昨夜の学習効果で、前もって舞台から、カラオケの装置を取り払ってもらって、
なんとか食事を開始しましたが、子ども達はカラオケの装置がないのが不満で、
宴会場は運動会の場と化し、流石の仲居さん二人も笑顔が消え去り、引きつった顔で茫然としていました。

 

さっさと夕食を済ませて、部屋に戻って一息つきかけたところへ、
4人の悪魔が乱入して来て一騒ぎ、「みんなでお風呂に行っておいで~~~」とだまして、
速攻で布団に入ってお休みタイムにしました。

 

9月16日

朝起きて、温泉に入って、朝食会場へ行くと、
もちろん、疲れを知らない孫たちは朝から大はしゃぎ、
それに反して私は、何故かまったく食欲がなく、ほとんど食べられずに「ご馳走さま」でした。

 

のんびりしてチェックアウト!
また2台に別れて、出発しようとしたら、出発時の千種駅の再現!
大人4人の車はさっさと出発して、母親&子どもの車(運転手は僕だあ~)は出発までに、
恒例の一悶着で10分くらい出発できず。

 

そして、今回のツアーのメインテーマであるお墓参りです!

平和公園に着いて、掃除をして、お花を活けて、お線香に火を点け、の段取りで進みかけた所、
今度はまた「私がやる!」「僕がやる!」でバトルが始まり、
お経を唱えるまでに順番の取り合いで大騒ぎ。。。。。


お墓で地獄のフィナーレ

 

なんとかみんなを千種駅へ送り、「バイバイ」して、家に帰って、
あまりバテたので、おかしいと思って体温を測ったら37度5分の熱でビックリしました。
次の日にアメリカに旅立つ長女と約束をしていた「焼肉」はとても食べられず。
お店をキャンセルして、サルバトーレ・クオモのデリバリーで、
嫁さんと長女はサラダとピザ、僕はサラダとビールで、直ぐに床に就きました。

 

今回の2泊3日の率直な感想→「もうコリゴリ」です(涙)

 

近藤 峰生

レターフォーユー