私の70回目の誕生日

  • 2020.11.30
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1950年(昭和25年) 10月10日 名古屋市大曽根で産声を上げました。
あれから70年! 私はいけてる「ファンキーじいちゃん」です!?
若いころは「ダンディじじい」を目指していましたが~~~
けっきょく、テレビに向かってアレコレつぶやく「文句垂れじじい」になりました!

70歳は「古希」です。

東京やロスに住んでいる娘や孫たちが、「コロナだからと言って、
古希のお祝いをできないなんて、我慢できない」と、
Zoomでのお祝い会を催してくれました。

しかし、ご想像通り、私のDNAをしっかり受け継いでいるファンキーな孫たちは、
初めから終わりまで「キャーキャー・ワーワー」と騒いで、
母親である娘たちとは落ち着いて会話などできませんでした。

これはこれで、元気な孫たちの顔や様子を見ることができ、
「あり」なZoom会でした。

 3人の娘から、それぞれの個性が表れている「スウォッチの時計」を
プレゼントしてもらいました。

 

 

「赤い」のは長女のお気に入りで、彼女とお揃いだそうです。
デザインのコンセプトは「東京オリンピック2020」で、
延期になったおかげで「レア」な感じになり、ちょっとうれしいです。
 

「白?」は次女の子ども(私の孫)たちが部品をセレクトして、
世界に一つだけのオーダーメイド時計です。根拠抜きでいい感じです(笑顔)

 「青い」のは三女のお見立てで、「どう!?センスいいでしょ!」
と彼女のコメント付きでした(苦笑い)

10年前の60歳の時には、ロールウェイと総務のみなさんに、
出雲殿でサプライズの「還暦のお祝い会」をやっていただき、
感動したことが懐かしく思い出されます。

 7年後の77歳の「喜寿」はコロナが終息していて、
娘や婿さんや孫たちがみんな揃って「お祝い宴会」をしてくれることを祈っています。

 

 

 

近藤 峰生

レターフォーユー