“京都のこと ”

  • 2017.9.5
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 国宝の屏風に「洛中洛外図屏風」があるのをご存知だと思います。名前では判らなくとも、屏
風を見れば「あー、これのことか!」と思い出すこととおもいます。金地に京都周辺の景色や風
物、季節の歳時が雲の流れの合間に描かれた屏風です。「洛中洛外図屏風」は国宝以外にも
沢山現存しています。どこかで眼にすることもあるかと思います。

 「洛中洛外」の意味は京都の市街地と郊外の意味です。今風にいうと京都市内とその隣接す
る地域のことを絵にした屏風と解釈できます。

 最近本で知ったのですが、「洛中洛外」にはもう一つの意味があるようです。
「洛中」は京都、「洛外」は京都ではない。現在でも京都市内で生まれ育った人が「洛中」
で生まれ育ったか「洛外」で生まれ育ったかで「京都人」を名乗れる、名乗れないの差別が
京都には存在するようです。

 明確に「洛中」と「洛外」の区別は無いようですが、京都御所を中心に北は金閣寺、
東は知恩院や清水寺、南は九条あたり、西は西大路(金閣寺あたりから南への道路)
の中を「洛中」と称し、その中で生まれ育った人は「京都人」で、「洛中」から外れ
た人は「京都人」と名乗れないようです。これはあくまでも、「洛中」に生まれ育っ
た人だけに通じる「プライドと偏見」です。

 「京都ぎらい」という本を読みました。京都によく遊びに行くので、どういうところが
「きらい」なのかと思って、買いました。内容は嵯峨で生まれ、宇治で生活している人が、
京都では「京都人」と認められない。ということが書かれていて、驚いたのです。嵯峨は
天龍寺、渡月橋などの観光地で我々からすると、バリバリ「京都」ですが、「京都人」か
らは「昔、嵯峨の人が肥えを汲みに来てくれはった!」と言われるのだそうです。つまり、
「あんたは田舎者だね。」と言われてると同じ意味だそうです。

 京都の老舗のお嬢さんが酒席で愚痴ったそうです、三十を過ぎるとろくな縁談が来ない。
理由を聞いたところ「この間来た見合いの相手は山科の人だった」つまり、「京都人」から
すると、山科のような田舎者の縁談だった、という意味のようです。山科は清水寺の裏の
山を越えたところ。「京都人」からすると山科は「京都」ではないのです。

 京都人のプライドを表す「先の戦は応仁の乱だった」「一見さんお断り」など聞いたこと
がありますが、我々には計り知れない「プライドと偏見」が京都には脈々と受け継がれてい
るようです。

 もう一つその本に書いてあったことですが、お寺や神社には税金がかかりません。京都市が
お寺の拝観料に税金をかけたそうです。するとお寺側は拝観料をタダか、拝観禁止にしたそう
です。観光客は減るは、お金は入ってこないということで、京都市の条例はすぐに廃止になった
そうです。また、夜の繁華街でお坊さんと舞妓さんの同伴姿がよく見られ、生臭坊主出現のイメ
ージですが、京都の舞妓さんも繁華街も坊主のお蔭で維持継続できている、らしいです。

奥平泰昌

レターフォーユー