“永六輔さんが亡くなった。”

  • 2016.8.23
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 永六輔さんが7月7日 83歳で亡くなった。

 以前、このレターで読書のことを書いた。その中で、永六輔さんから日本の文化につい
て学んだと書きました。大学生の頃、「話の特集」という雑誌があり、その中に、永さん
のコーナーがあり興味を持ったのだと思います。「芸人その世界」「役者その世界」「タ
レントその世界」「スターその世界」「アイドルその世界」の「・・・その世界」のシリ
ーズは発刊されるとすぐに買って読んでました。

 永さんは、テレビ創世の頃からテレビの世界と関わり、ラジオに番組を持ち、歌謡曲の
作詞をこなすというマルチタレントでした。芸能界に精通してるだけに「・・・その世界」
の内容は、素人には面白い話が満載でした。

 いまでもテレビで「遠くへ行きたい」という番組があります。これは永さん作詞の「遠
くへ行きたい」の歌を、旅番組に仕立てたものです。毎回、違うタレントが国内のいろい
ろなところへ旅する番組で、何十年も続いています。永さん本人も旅人で、日本国内を隈
なく旅をした人でした。その旅を通じて感じたこと、出会った人のことをまとめた本も沢
山出版されています。

 今では当たり前の「メートル法」ですが、永さんはこれに反対してました。日本には古
来より、日本の基準がありました。長さの「尺」「間」、広さの「坪」「反」「町」、量
の「合」「升」「斗」、重さの「匁」「貫」などです。反対の理由は職人さんが困るから
です。ご承知のように今でも、職人さんの世界では、日本古来の単位で仕事がされていま
す。何でも欧米と同じにすることはいいことではない、それぞれの国にはそれぞれの国の
文化があり、それを継承していくことの大事さを説いていました。

 また、捕鯨禁止にも反対しており、有名なグリーンピースはテロリストだと断定してま
した。根拠は、日本の捕鯨は日本の食文化であり、芸能を支える手段でもあるからです。
アメリカはクジラの油をとり、身は捨ててました。クジラをとるために日本に来て開港を
求めました。日本は食べるためにクジラを採り、栄養補給のために油を肝油(知らないか
ナー)にし、ヒゲで浄瑠璃の人形や、屋台のからくり人形を作りました。クジラは日本人
を育て、文化を継承してくれてるのです。

 83歳で亡くなりましたが、終末に対しての提言も多々あり、ご本人も実践されて、癌
の最新治療はされず、自宅で、家族に見守られて亡くなったと報道されてます。今では終
末の身の処し方について、情報がたくさんあり、癌の手術でさえ、受けていい、受けてい
けない。どこの、何とか先生が“神の手”だという情報が氾濫してます。永さんは「大往
生」という本で終末の考え方を教えてくれました。それまで、病気になったら医者に行き、
薬をのみ、手術を受ける、が当たり前でした。でも、薬を飲まない選択、手術をしない選
択もあることを、最初に教えてくれたのは、永さんだったと思います。

 坂本九の「上を向いて歩こう」、ドリフの「いい湯だな」を作詞したのも永六輔さんです。

 ご冥福を・・・・   合掌。

奥平泰昌

レターフォーユー