私が裁判について思うこと

  • 2020.4.1
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こないだ行正くんに「自分が人生で出会った中で、一番面白い人」と言われてしまいました。

行正くんだけでなく、みなさんにも「社長はちょっとおかしいんじゃないか?!」

と思われているかも知れません。当たっているかもね~~~(苦笑い)

そう思われても、こう見えても、私は大学で法律を専攻していました(本当です!)

ただその頃は、学生運動真っ只中で、あんまりまともな講義はなかったのですが。。。

そこで、今回は法律に絡んだお話をさせていただきます。

 

平成21年5月21日に裁判員裁判の制度が始まってから、10年以上経ちました。

まだ、私の身近な人で裁判員になった話を聞きません。

少々固い話でつまらないかも知れませんが、

その時に備えて、大事なことなので、我慢して最後まで読んでください。

 

みなさんは、新聞やテレビで、時々「再審」とか「冤罪」(えんざい)とかという言葉を目に、

耳にしたことがあると思います。

そこで、「冤罪」について考えてみましょう。

 

刑事裁判で最大の悲劇は!?

真犯人を処罰できずに社会に放り出すことか?

それはもっともだが、最大の悲劇は「冤罪」です!

真犯人を処罰できないのは確かに不正義ですが

無辜(むこ)の処罰はさらに不正義です。

なぜなら、無実の人を処罰してしまった場合、その人の自由や時間を奪うだけでなく、

真犯人を取り逃がすという二重の不正義をすることになる

 

法廷で本当のことを知っているのは被告人だけ

裁判官も検察官も弁護人も本当のことはわからない

どういう解決をするのが正解なのか、誰も知らない

判決を言い渡すということは、本当のことを知っている、

すなわち真実を知っている被告人に言い渡さなければならないということ

迷ったら、

「疑わしきは被告人の利益に」=「推定無罪」を念頭に考えなければならない

 

文春文庫にスコット・トゥローの「推定無罪」という文庫本がありますので、

興味を持ったら是非読んでみてください。

1990年にハリソン・フォード主演で映画にもなりました。レンタルで見るのもお勧めです

 

※「無辜」は、「罪のないこと、また罪のない人」事です。

近藤 峰生

レターフォーユー