==第1部 出会い==
平成元年当時、コンテックの工場の出入り口は、重い重い鉄の大扉でした。
冬の寒い時期のルーティーン
- トラックが正門を通り工場の扉の前で停車
- 運転手が「ヨイッショ!」と重い鉄の扉を開けて工場内に入る
扉は開けられたまま~~~
- 中にいる作業者が「寒いなあ!」と文句を言いながら、作業を中断して扉を閉める
- 中で用事を済ませた運転手がトラックで扉の前で停車
- 「アッ、閉められている!」と言って扉を開けて、工場から出ていく
もちろん、扉は開けられたまま~~~
- すると、作業していた作業者が、「せっかく閉めたのに、また開けっ放し!」
と文句を言いながら、作業を中断し扉を閉める
冬の寒い間は、一日に何度も繰り返されるつらい光景でした。
そんな頃(37年前)、平成元年がロールウェイとの出会いでした。
「晴海の展示会」でロールウェイを見て、「冬の難題の解決のためにこれだ!!」
早速設置をしました。即断、即決、即実行!!
もちろん、効果は抜群でした。
そこで、当時営業部のないコンテックで、「この商品を活用して、営業体制を作れないか?!」とひらめき、
メーカーである埼玉県大宮市にあるワールド工業に交渉に駆け付けました。
またまた~即断、即決、即実行!!
その頃のワールド工業は、全国展開を目指して、大手商社との連携を検討していたため、
中小企業のコンテックは、相手にされませんでした。
しかし、ユーザーとしての立場を利用して、ワールド工業の社長と専務と部長の3人に対して、
2時間もの時間、持ち前の「シャベリターノ峰生」の本領を発揮し、粘りに粘り、
なんとか代理店契約の交渉を成功させて、カタログ、販促用のビデオ、価格表、その他の書類で
カバンをパンパンにして、ワールド工業を後にしました。
契約を取り付けたのですが、問題はその後にもありました。
当時のコンテックは営業部がなかったので、もちろん営業をするメンバーもいません。
役員会で、「営業をさせるので一人、ください。」と言っても、
「そんな人員は余っていない」との冷たい返事。
それでも、なんとか諦めず、やはり、得意技である「粘りに粘り」を発揮して、
一人!預けてもらいました。
早速、ワールド工業に派遣して、研修を受けさせて、なんとかスタートすることができました。
ここまでが、「私とロールウェイ」の第1部です。
次回、第2部へと続きます!?
乞う ご期待!?
近藤 峰生