“先祖は殿様”

  • 2016.6.21
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 今回は先祖の話です。

以前「NAKATU TRAVEL BOOK」で先祖の話を少し書きました。今回はその続きという
より、その前の話になります。

 新東名高速道が全線開通しました。1月のことです。それまでは、浜松の手前、引佐
まで開通してましたが、豊田までの区間が開通しておらず、東京からの帰りは毎回、音
羽蒲郡の渋滞をイライラしながら走ってました。

 2月のある日、後輩から電話がありました。「先輩の先祖は長篠に関係があるんですか?」
開通した引佐、豊田間には、2ヶ所のサービスエリアが出来ました。そのひとつ長篠設楽原
のSAから電話を掛けてきたようです。

 日本史の教科書には必ず出てくる、“長篠の戦い”の主戦場の近くにSAが出来ました。
そのため、SAの売りとして“長篠の戦い”をテーマに建物も昔の陣屋に模し、お土産も、
戦さに関係のあるものが沢山用意してあります。

 後輩からの電話によると、奥平氏の夫婦の人形が飾ってあるので、写メを送りますと
言って携帯に夫婦の人形の写真が送られてきました。確かに武将とお姫様の夫婦の人形
が写ってました。写真を貰ってから、東京からの帰りに早速寄ってみました。

 SAの建物に入るとすぐ左手にその人形が飾ってありました。「奥平信昌公・亀姫」と
あります。説明を読むと、長篠の戦の勲功により、奥平貞昌だった名前に、織田信長が
自分の一字“信”を与え、“信昌”を名乗ることを許し、徳川家康は長女亀姫を信昌と
縁組をさせ、奥平家を優遇したとあります。

 SAの中に、壁一面に引き伸ばした「長篠の合戦図屏風」の写真があります。よく見る
と我が家の家紋とよく似た「軍扇」の紋をつけた幟を背中に背負った武将が描かれていま
す。名前は奥平・・・・と書かれ、名前は読み取れません。しかし、家紋が「軍扇」なの
をみて、先祖なんだ・・・と確信しました。

 今回、人形をみて驚いたのは、奥平信昌が家康の長女と結婚していることを知ったこと
です。って言うことは、薄く薄ーくながらも、私の血の中に徳川家康のDNAがあるとい
うことです。ちょっと凄くないですか・・・・

 是非にとは言いませんが、お時間があったら、新東名 下りの“長篠設楽原”のSAに
寄ってみて下さい。物見櫓もあり、設楽原が一望でき、景色は抜群です。

 今回は自慢話でした。

奥平泰昌

レターフォーユー